飢餓が精神に及ぼす恐ろしい影響 – ミネソタ飢餓実験を探る

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第二次世界大戦中、ヨーロッパ中で何百万人もの人々が飢えに苦しんでいた時代に、アメリカ軍は重度の栄養失調状態にある人々を適切に再栄養化する最善の方法を理解する必要に迫られていました。

これがミネソタ大学で行われた、ミネソタ飢餓実験と呼ばれる大胆で恐ろしい実験につながりました。

本ブログでは、この研究の不気味な詳細に迫り、参加者に及んだ精神的・肉体的な影響と、この実験から得られた貴重な知見を探ります。

はじめに

戦時中、食糧不足は多くの人々の厳しい現実でした。

米軍は、飢餓状態にある人々を適切に再栄養化する方法を理解する必要性を認識していました。

人体飢餓研究の先駆者であるアンセル・キーズ博士は大胆な実験を提案しました。

健康な志願者に準飢餓状態を体験させ、その後の再給餌段階での回復を観察するというものでした。

恐ろしい実験デザイン

この実験は合計5つの段階からなり、各段階は12週間続きました。

第1段階では、36人の良心的兵役拒否者が志願して実験に参加し、通常の食事期間を経て基準を設定しました。そして本当の試練が始まったのです。

第2段階 準飢餓状態

第2段階では、参加者の摂取カロリーが半分に削減され、飢餓状態がシミュレートされました。

彼らには1日2回の単調な食事が与えられ、主にパン、ジャガイモ、穀物、少量の乳製品と肉からなっていました。

身体的にも精神的にも負担が並々ならぬものとなり、簡単な作業さえ苦痛となりました。

参加者たちは食べ物に執着するようになり、料理本を集めたり、自由に食事ができる人を羨んだりしました。

第3段階 回復期と狂気への落ち込み

この段階が参加者にとって最も精神的に過酷であったことは間違いありません。

半年間の準飢餓状態から解放されると思っていた彼らの期待は、がくっと裏切られました。

実験の設計では、この12週間はリハビリテーション期間と位置づけられていました。しかし、参加者たちの驚きとがっかりを招いたのは、カロリー摂取量がごくわずかしか増やされなかったことです。

体が健全な状態に回復し、新しい組織を作り出そうとするにつれ、一時的にさらなる体重減少さえ起こりました。

この状況は参加者らに絶望と混乱をもたらしました。

最悪の出来事は、サム・ラグと別の参加者が夕食に友人宅を訪れた際に起こりました。

実験室から食事を持参した二人は、暖炉の前に座っていました。

しかし、火が弱まってきたと主張したラグが突然立ち上がり、「木切れ場所とおのを見つけた」と言い放ち、外に出て行ってしまったのです。リハビリ3週目で体重がわずか51kgにすぎなかったラグは、おのを持ち上げることさえままならず、何らかの理由で左手に振り下ろし、3本の指を切り落としてしまいました。ラグ自身「当時は精神がおかしくなっていた」と後に振り返っています。

研究者らはこれを「重度の準飢餓神経症」と評価しました。

即座に病院に搬送され、手当てを受けましたが、看護師は彼が指を食べてしまったと恐れたそうです。

実際にはラグはその指をミネアポリスの裏庭に埋めたのだとか。実験記録によれば、ラグは実験の終了を望みながらも、実験が失敗に終わることを恐れていたといいます。

ラグの手当ての後、彼は実験に復帰しました。

他の参加者も同様に、この段階で極度の混乱状態に陥りました。

一人の参加者は食料品店に入り、何も購入せずにジャガイモ、ニンジン、タマネギといった根菜を万引きし、その場で食べ始めてしまいました。

別の参加者は22マイル(約35km)の徒歩から戻る途中、アイスクリーム店に立ち寄り、1杯のアイスクリームを注文しましたが、食べ終わる前にまた注文を繰り返し、実験室に到着する頃にはついにダイエットを乱してしまったことを報告しました。

こうした行動は、合理的思考ができなくなった結果です。

このため、体重減少が計画通りでない参加者は実験から外されたり、最終結果から除外されたりしました。

以降、スタッフは参加者を一人で外出させず、パートナーまたはスタッフと共に歩かせ、互いに節制を促すようにしました。

この段階の過酷さにもかかわらず、希望の光もありました。

参加者の一人は「多少準備ができていたので、我々は最悪の事態に備えられた。そして、飢えは人の心を打ち砕くことはできなかった」と述べています。

しかし総じて、この期間が参加者らにとって最も耐え難いものだったことは間違いありません。

第4段階 無制限の食事

実験の最終段階に入り、ついに参加者たちは長年の夢であった無制限の食事を手にすることになりました。

しかし、この段階も彼らにとって予想外の試練が待っていました。

制限のない食事が与えられた最初の数週間、参加者たちは食べ放題の機会に狂喜し、あらゆる食べ物を次から次へと平らげていきました。

しかし、この過度の大食いは深刻な健康被害をもたらしました。

参加者の一人によると、「食事の時間になると、私たちは豚のようにがつがつと食べ始めた。私は一日に7,000カロリーを簡単に食べられた」そう語っています。

別の参加者も「朝食に6人前のオートミール、12個のトーストと大量の牛乳を平らげた」と振り返っています。

このような過剰な食べ方は、胃腸の痛みや嘔吐、下痢など、重度の消化器系の障害を引き起こしました。

ある参加者は激しい腹痛に見舞われ、便秘と下痢を繰り返していました。

実験スタッフはこの問題に対処するため、参加者に3食を提供し、徐々に食事量を増やしていく対策を講じました。しかし、なかには「空腹感」が完全に抑えられずに、常に追加の食べ物を求める者もいました。

この現象は、実は強制収容所の生存者に見られたものと酷似していました。

長期の飢餓状態から解放されると、彼らも過度の大食いに走り、重篤な消化器系疾患に見舞われていたのです。

しかし、ひとたび適正な食生活に戻れば、参加者の健康状態は徐々に改善していきました。

12週間後には、ほとんどの参加者が通常の体重を取り戻していました。

ただし、一部には完全な回復に半年以上を要した者もいたと記録されています。

第5段階 余波

日本の突然の降伏により、実験は予期せぬ形で終了してしまい、多くの疑問が残されました。

良心的兵役拒否者だった参加者たちは、並々ならぬ犠牲にもかかわらず、報酬も退役軍人への給付も受けられませんでした。

不気味な遺産

長年を経て、この研究の詳細な記録とユニークな性質により、人体飢餓研究の古典的な事例となりました。

飢餓状態の人々には回復期に1日4,000カロリーもの多量の栄養が必要であることが明らかとなりました。

しかし、参加者が被った精神的な苦痛は、この研究の手法と、得られた知見がそれだけの価値があったのかどうかという倫理的な疑問を投げかけています。

結論

ミネソタ飢餓実験は、人間の強さと脆さの両面を同時に浮き彫りにしました。

この実験に志願した36人の男性たちは、自らの身体と精神を極限の状態に追い込むことで、貴重な科学的知見を生み出しました。

一方で、この実験が参加者たちに及ぼした深刻な影響は無視できません。

半年間の準飢餓状態は、彼らの身体的・精神的健康を蝕みました。食べ物への異常なこだわり、理性を失った行動、そして一人の参加者が自らの手を傷つけるに至った出来事など、飢餓がもたらした狂気の様相が明らかになりました。

さらに、リハビリ期間でさえ、参加者たちを新たな試練に直面させました。

無制限の食事は一時的に過度の大食いを招き、消化器系の深刻な障害を引き起こしたのです。

この現象は第二次世界大戦中の強制収容所生存者の体験と酷似していました。

実験終了後も、参加者たちの苦しみは続きました。

良心的兵役拒否者であったため、彼らは報酬や退役軍人への給付を一切受けられませんでした。

精神的な traumaの痕跡は簡単には癒えるものではありませんでした。

しかし同時に、この実験は飢餓と再給餌プロセスに関する貴重な科学的知見を生み出しました。

将来の栄養療法の発展に大きく貢献する成果です。

人類が飢餓に勝つための知恵が、この過酷な実験から生まれたのです。

この実験の意義を計るには、得られた知見とそれに伴う犠牲のそれぞれを斟酌する必要があります。

科学の進歩と人間の尊厳のバランスをどう捉えるかは、時代と共に変わっていくでしょう。

しかしミネソタ飢餓実験は、その過程で人間がどれだけの苦しみを強いられたのかを決して忘れてはならない、重要な教訓となっています。

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